1980年広島生まれ。京都在住。2006年に京都精華大学大学院芸術研究科博士前期課程修了。近年の主なグループ展に「六本木クロッシング2019展 つないでみる」(森美術館、2019年)、「東アジア文化都市2017京都 アジア回廊現代美術展」(二条城、2017年)、「still moving @KCUA」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、2015年)、「ユーモアと飛躍 そこに触れる」(岡崎市美術博物館、愛知、2013年)などがある。
学歴
2006
京都精華大学大学院 芸術研究科博士前期課程 修了
個展
2017
入念なすれ違い|MORI YU GALLERY TOKYO|京都
2015
Statue of clothes|MORI YU GALLERY TOKYO|京都
2013
無形の排泄 |MORI YU GALLERY TOKYO|東京
2013
無形の排泄 |MORI YU GALLERY KYOTO|京都
2012
回帰 recurrence|Gallery PARC|京都
2012
入念な押し出し|ギャラリー恵風|京都
2011
不在のための構成|ARTSPACE-ZERO ONE|大阪
2011
an error message|STREET GALLERY|神戸
2010
ピンセットの刺さった円柱の飯は木彫の台を貫通する|ギャラリー恵風|京都
2009
ずれ落ちた左肩は飯に刺さる|CPG/超能力|京都
2009
飛び散る飯と女|STREET GALLERY|神戸
2008
真空のパラダイス|GALLERY アートフェチ|名古屋
2007
脳みそ0ギガバイト|VOICE GALLERY|京都
グループ展
2019
六本木クロッシング2019:つないでみる | 森美術館 | 東京
2017
東アジア文化都市2017京都 アジア回廊現代美術展 | 二条城 | 京都
2016
VOCA展 2016 | 上野の森美術館 | 東京
2016
ALL NIGHT HAPS 2016 後期
2015
「私がしゃべりすぎるから/私がしゃべりすぎないために」 | HAPS | 京都
2015
RESONANCEⅣ -生活とかたち-|ギャラリー揺|京都
2015
still moving @KCUA |京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA|京都
2015
連続の縺れ―conti/nuit/é―|The Terminal KYOTO|京都
2013
ユーモアと飛躍|あいちトリエンナーレ2013並行企画事業
2006
岡崎市美術博物館|愛知
2013
京都府民美術館 – 集積と解放|京都府庁旧本館|京都
2013
京芸 Transmit Program #04 Kyoto studio |
2006
2京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA|京都
2012
集積と解放|京都府アールブリュッ都ギャラリー|京都
2012
奈良・町家の芸術祭HANARART はならぁと|まちなみ伝承館|奈良
2012 Art Court Frontier 2012 #10|ARTCOURT Gallery |大阪
2012
溶ける魚 – つづきの現実
2006
京都精華大学ギャラリーフロール/Gallery PARC|京都
2011
medias conection vol.2|此花メヂア|大阪
2011
激凸展|unseal contemporary|東京
2010
ボクラノミカタ|ガレリアフィナルテ|愛知
2010
VIDEO RELAY 2010|MUZZ PROGRAM SPACE|京都
2009
第12回 岡本太郎現代芸術賞展|川崎市岡本太郎美術館|神奈川
2009
After School・放課後の展覧会|元立誠小学校|京都
2006
JEANS FACTORY ART AWARD 2006|高知市文化プラザかるぽーと|高知
2005
群馬青年ビエンナーレ’05|群馬県立近代美術館|群馬
受賞歴
2009
第12回 岡本太郎現代芸術賞展 〈特別賞〉 川崎市岡本太郎美術館
2006
JEANS FACTORY ART AWARD 2006 〈優秀賞〉 高知文化プラザかるぽーと
2005
群馬青年ビエンナーレ’05 〈奨励賞〉 群馬県立近代美術館
ある行為の繰り返しによって出来上がったものや痕跡。 これらは時々、その行為の目的を通り越し何か別の新しいものへと変化することがあります。 この様に私は、本来の目的から逸脱しつつもなお存在し続けるものに興味があります。
Marks that have been created by the repetition of an act – they sometimes go beyond the purpose of the act, and change into something new. Like this, I am interested in things that continue to exist, even after they deviate from their original purpose.
ゲオルグ。バゼリッツが逆さまの木彫を豪快に刻むのを横目に、円空や木喰がなぜ今の日本に存在しないのかを訝っていた。木に囲まれ木と暮らしていた日本人が、明治以後の西欧化でひたすら我が国の歴史を捨て去って行った愚行の延長にそれが顕在化した事は容易に想像が可能だが、一世紀の試練の時を経て、ようやく時代が新たな有り様を獲得しはじめたのではないかとの予感がある。Hの木へ向かう姿勢には、現代に迎え入れる要件を揃えた日本の彫刻と呼べる試行錯誤が、苦悩を脱ぎ去ったロンダニー二のピエタのように軽やかにそこに存在する。存在する事!それこそが彫刻の所以である。
(椿昇)